ヘルスツーリズムとは

ヘルスツーリズム(Health Tourism)とは、健康旅行、健康観光と訳され、国連世界観光機関(UNWTO)では「健康維持に関する養生法、エクササイズや食事管理、各種療法、医療サービスを通して、肉体的、精神的に良好な状態に改善することを主要な目的としたリゾートディスティネーションへの転地やヘルススパ(SPA)旅行」(訳出:荒川)です。

日本では、NPO日本ヘルスツーリズム振興機構が「健康・未病・病気の方、また老人・成人から子供まですべての人々に対し、科学的根拠に基づく健康増進(EBH:Evidence Based Health)を理念に、旅をきっかけに健康増進・維持・回復・疾病予防に寄与する」ものと定義しています。

海外のヘルスツーリズムはメディカルツーリズムあるいはスパツーリズム

近代ヘルスツーリズムのコンセプトは1973年、観光機関国際連盟(IUOTO)の声明に「その国の天然資源、特にミネラルウォーターや気候を活かしたプログラム提供の施設」として初めて登場しました。

その後、国連世界観光機関(UNWTO)による定義では、「健康維持に関する養生法、エクササイズや食事管理、各種療法、医療サービスを通して、肉体的、精神的に良好な状態に改善することを主要な目的としたリゾートディスティネーションへの転地やヘルススパ(SPA)旅行」(荒川訳)となっています。

ヘルスツーリズム研究者のSmithらは、ヘルスツーリズムにはウェルネスなものとメディカルなものがあり、そのいずれにおいても提供の場は「スパ施設」が中心であることを示しています(図1)。

Becheriは、健康回復・増進とかかわる観光行為のことをヘルスツーリズムではなくスパツーリズムと説明しています。このように、海外のヘルスツーリズムの認識には、スパや温泉が中核にあり、それを提供する場、施設の存在が必須であることが明確になっています。トータルに健康な状態を目指すためにリゾートや保養地に滞在するスパを「ディスティネーションスパ」といい、イギリスに発祥する滞在型の高級健康増進施設「ヘルスファーム」に由来するものです。

ディスティネーションとは「目的」という意味で使われ、減量、禁煙、美容など特定の目的を実現するために都市型ライフスタイルから一担離れて、リゾートや自然環境の豊かな環境へ滞在し、転地効果も含めた健康と美の総合プログラムの提供を受けるものです。

ヘルスツーリズムという言葉が日本で登場しはじめたのは1990年代の後半頃からで、ヘルスツーリズムの中核的存在にスパがあることを紹介した文献や研究者が我が国には当時不在で、こうした事実はあまり知られていませんでした。

図1.ヘルスツーリズムの類型と提供施設
図1.ヘルスツーリズムの類型と提供施設

ウェルネスツーリズム~サードプレイスへの旅~
荒川 雅志 著 NPO日本スパ振興協会 編著 「フレグランスジャーナル社(2017)」より

地域活性で展開した日本のヘルスツーリズム

先行する海外の研究をよくみれば、世界的にはヘルスツーリズムはスパや温泉を中心とするスパツーリズム、あるいはメディカルツーリズムと認識している国が多いことが分かります。

こうした中、わが国では2008年の観光庁発足に伴い、ヘルスツーリズムを「ニューツーリズム」に掲げることで、独自の解釈と普及がはじまりました。

観光立国推進基本計画(2007年)においてヘルスツーリズムは「自然豊かな地域を訪れ、そこにある自然、温泉や身体に優しい料理を味わい、心身ともに癒され、健康を回復・増進・保持する観光形態」と定義され、ニューツーリズムのひとつとして地域活性を目的に行政が主導的に取り組むことから広がりをみせました。

ニューツーリズムとは、これまで気づかれていなかった地域固有の資源を新たに活用し、体験型、交流型の要素を取り入れた観光形態のことです。自然、食資源が豊かな地域にとっては、それを健康資源に活かすヘルスツーリズムは理想的なテーマです。

こうした日本独自の展開は、地域活性化の観点から行政が主導的に取り組むことが多いものでした。地域主導型はプロダクトアウト要素が強く、健康は万人の関心がゆえに大きな需要があるだろうという推測のもと、十分なマーケティングもなく、サプライチェーンの開拓もないまま取り組んでしまうケースが多くみられました。国や県市町村の補助事業に頼るものも多く、ビジネスの視点を欠き、持続可能な仕組みを構築できた例はほとんど見られませんでした。

当ウェルネス研究分野では、この日本独自のヘルスツーリズムの取り組みの初期を日本型ヘルスツーリズム第1期と定義します。

日本型ヘルスツーリズム初期の課題を挙げると以下にまとめられます。

  • 効果訴求の期待に応えられる科学的根拠に基づくサービス提供の未確立
  • 薬事法に基づく品質表示のあり方の不明瞭さ
  • 健康状況は十人十色であり、幅広い健康状況に応じたメニュー待機の不足
  • ヘルスコンシェルジュ的役割を担う人材養成あるいは派遣制度の仕組みづくり不在
  • 医療機関、健保組合など異分野連携による新たな流通チャンネルの未開拓
  • ヘルスケアプレーヤーとしての自覚不足
  • 旅で健康増進の価値が消費者に十分浸透していない
  • ヘルスツーリズムは観光の一形態でありながら「ヘルスケア産業」でもある認識の不足
  • 健康は“タダ”あるいは“半公共的サービス”(医療・介護にみる)イメージが故の購買への需要喚起の難しさ
  • 健康行動は時間的、身体的負担を伴う性質があり、サービス産業化にそぐわない本質的課題。健康行動そのものを商品とするフィットネスクラブの低迷(当時)の理由のひとつ

ヘルスツーリズムは「次世代ヘルスケア」へ

こうした中、日本の成長戦略「健康寿命延伸産業」にヘルスケア産業を育成することが掲げられ、その中でヘルスツーリズムは「次世代ヘルスケア産業」としての期待が寄せられはじめました。

日本再興戦略2016では、600兆円に向けた官民戦略プロジェクト10のひとつに「世界最先端の健康立国」を掲げ、新たに講ずべき具体施策に「ヘルスツーリズム等の認証制度を普及させる」ことが明記されています。

経済産業省では、ヘルスツーリズムに真摯に取り組む自治体や事業者のプログラムを評価、認証し、安全性、価値創造性の評価とともに、有効性のランク評価を含む「品質の見える化」、いわば星づけ制度により新たな需要を喚起しようとしています。

筆者も委員参画した「ヘルスツーリズム品質評価プロジェクト」で策定した認証基準をもとに、平成30年度にはヘルスツーリズム認証制度がいよいよスタートしました。

また同じく経済産業省では、平成26年度より「健康経営銘柄」の選定を開始,平成28年度からは「健康経営優良法人認定制度」を創設し,4回目の認定となる2020年度では,大規模法人部門(上位500法人を「ホワイト500」とする)に1,476法人が,中小規模法人部門に4,815法人が認定されています(令和2年8月3日現在)。

健康経営®」注)とは,従業員等の健康管理を経営的な視点で考え戦略的に実践することで,1980年代に米国の経営心理学者ロバート・ ローゼンらによる健康な従業員こそが収益性の高い会社をつくるという「ヘルシーカンパニー」の理論をもとにしています。日本では健康経営は「国民の健康寿命の延伸」に関する取り組みの一つとして日本再興戦略,未来投資戦略に位置づけられ,従業員等への健康投資を行うことは,従業員のメタボリックシンドローム予防やうつなどメンタルヘルス対策と同時に,生産性の向上等の組織の活性化をもたらし,結果的に業績向上や株価向上につながるとして近年注目されています。
注)「健康経営®」は,NPO法人健康経営研究会の登録商標

厚生労働省では、糖尿病予備群を対象にホテル、旅館などの地域観光資源等を活用する『宿泊型新保健指導プログラム』(スマート・ライフ・ステイ)の普及促進を進めています。滞在先での地域資源を活かした食事指導、運動指導など快適な環境で集中的で効果的な保健指導を実現するというもので、平成26年度からのマニュアル開発と効果検証研究班に筆者も参画しました。医療専門職の関与を明確にすれば、すでに制度化されている特定保健指導の国庫補助が適用できるという一歩踏み込んだ試みとなりました。

ヨーロッパの事例では、ヘルスツーリズムは医療と関わりのある旅行形態として明確に医療の存在を規定し、医療保険などの社会制度による支援を背景に広がってきた経緯があります。対して地域活性で展開がはじまった現代日本のヘルスツーリズムには、医との関係が曖昧であったことが大きな課題として挙げられます。
日本観光協会もかつて「ヘルスツーリズムの健全な発展のためには、決して健康回復・維持・増進につながるかどうかの医科学的な根拠を曖昧にしたままで、ヘルスツーリズムを催行しないようにすることが重要である」との報告があります。

筆者は、ヘルスツーリズム主催者がその目的と対象を明確に絞り込み、国民皆保険制度・医療保健制度の日本においては西洋医療機関、医療専門職の関与(有無)を基準とした分類が極めて重要であることを国際学会で発表してきました(TTRA,2015)。ヘルスツーリズムは旅行を通しての健康プログラムの提供であり、観光サービスではなく「ヘルスケアサービス」であるという理解を催行者、関係事業者がしっかり理解・共有することが重要と考えています。日本のヘルスツーリズム第1期では、この医療の関与(有無)と観光の関わりが曖昧なまま事業化に取り組んでいくケースがほとんどであったことが問題点と考えられました。
そのうえで、効果的な健康サービス、時には保健指導でありながら、旅行全体としては楽しく、魅力あるプログラムでなければ意味がありません。豊かな自然、食の体験、地域の人たちとの交流を通して、新たな視点、新たな発見があり、普段の生活習慣では起こりにくい意識の変化、動機づけ、そして健康行動変容を促すことが期待されています。旅を介した健康サービス、保健指導とは、最新の行動変容理論になりえるのかもしれません。

地域活性の視点からは、ヘルスツーリズムを推進することで豊かな自然環境、食資源などを「健康資源」という新たな価値を生み出し、地域住民の健康増進とともに、過疎の問題や疲弊する地域へ新たな誘客に結びつくことへの期待があります。地域にある固有の資源を、どう発掘し磨けるか。それらを活かし効果的なプログラムとして成立させるためには、観光関連従事者と健康医療従事者とのアライアンス(連携)が不可欠となってきます。
次世代ヘルスケアとしての期待を担うヘルスツーリズムは、海外のものとは異質であることを認識したうえで、「宿泊型健康経営」や「宿泊型新保健指導」を包含する日本独自のヘルスツーリズムとして整理、発展させていくべきと考えています。こうした動きを当ウェルネス研究分野では「日本型ヘルスツーリズム第2期」と定義しています。日本独自のツーリズムを介したヘルスケアとして発展し、その方法論やプログラムは海外に輸出できる可能性が見えてきました。

2017年6月、わが国のヘルスツーリズムを牽引してきたNPO日本ヘルスツーリズム振興機構、およびJTBヘルスツーリズム研究所が、温泉を利用した健康増進の調査研究、健診センターの運営等を行っている一般財団法人日本健康開発財団に移行されました。同財団は、厚生労働省が認定する「温泉利用型健康増進施設」、「温泉利用プログラム型健康増進施設認定制度」の管理法人であります。この移行を機に、国の医療保健制度に寄り添い、温泉という我が国固有のスパとヘルスツーリズムの関係が明確となりうる画期的な動きといえます*。
*2019年、特定非営利法人日本ヘルスツーリズム振興機構、JTBヘルスツーリズム研究所はJTB総合研究所内に移管されました。

日本の大学で初のヘルスツーリズム教育、ヘルスツーリズム研究の開始

国立大学法人琉球大学は国立系として日本初の観光科学科を2005年にスタートさせました。健康保養の資源に溢れる沖縄の地で学ぶ観光の大きな特色のひとつとして同年、日本の大学で初の専門科目「ヘルスツーリズム論」を開講しました。

海外事例をもとにしたヘルスツーリズムの概念、現代に至る歴史的経緯、国内外の最新動向、対象とする領域の整理(医療型、健康増進、レジャーレクリエーション型)など基本知識の修得とともに、健康科学からの視点、行動変容を促す新しいヘルスプロモーションとしての可能性、ヘルスケア産業としての視点を提示し、国の政策動向も含めて医療費抑制、新産業、雇用創出、そして地方創生に繋がる日本型ヘルスツーリズムを考えていく授業です。

同授業は「NPO日本ヘルスツーリズム振興機構寄附講義ヘルスツーリズム論」としてNPO日本ヘルスツーリズム振興機構との共同開発による最新の動向を踏まえた集中講義として開催しています。

主な講義内容

  • ヘルスツーリズムの概念、歴史、対象領域
  • 次世代ヘルスケアとしてのヘルスツーリズム、健康産業市場、ヘルスツーリズム市場規模
  • ヘルスツーリズムの対象領域1 ~西洋医療との関わり、メディカルツーリズム~
  • ヘルスツーリズムの対象領域2 ~相補代替医療、自然療法との関わり、海洋療法~
  • スパツーリズム、ウェルネスツーリズム
  • メディカルチェック、測定評価法
  • ヘルスツーリズムによる地域振興の実際、着地型観光からの課題
  • 医科学的根拠に基づく健康プログラムの開発
  • ウェルネスプログラム実習 (スパ、エアロビクス、ノルディックウォーキング、ヨガ、マインドフルネス)
  • ヘルスツアーモデル作成演習
  • まとめ「持続可能なライフスタイルを考える起点としてのヘルスツーリズム」

    学生を対象とした3日間集中講義に続き、「ヘルスツーリズムアテンダント講座」を2020年より新たに開催しています(主催:NPO日本ヘルスツーリズム振興機構、後援:琉球大学ウェルネス研究分野、沖縄県、南城市、協力:イーストホームタウン沖縄株式会社、会場:南城市)。社会人を対象とし、2日間の講座受講後、認定試験に合格した方には「日本ヘルスツーリズムアテンダント」資格が授与されます。
    ●本講座は、「健康運動指導士」「健康運動実践指導者」の登録更新に必要な単位が付与されます。全講座を受講した場合、講義8単位、実習7単位の計15単位取得が可能となっています。
    講義ではヘルスケア産業の現状から健康づくり概論等、実習では健康チェックや運動の基本からリラクゼーション体験の指導方まで幅広く、最新の知見を提供しています。

文部科学省科学研究費

  • 2017-2019: 次世代ヘルスケアとしてのヘルスツーリズム(基盤研究(C) 研究代表者荒川雅志)
  • 2014-2016: メンタルヘルスツーリズムの展開(基盤研究(B) 分担研究者荒川雅志)
  • 2014-2016: ヘルスツーリズムの基盤構築(基盤研究(C) 研究代表者荒川雅志)
  • 2011-2013: ヘルスツーリズムの有効性に関する実証研究(若手研究(B) 研究代表者荒川雅志)
  • 平成27 年度循環器疾患・糖尿病等生活習慣病対策実用化研究事業『生活習慣病予防のための宿泊を伴う効果的な保健指導プログラムの開発に関する研究』研究班分担研究者(代表:津下一代)

ウェルネスツーリズム~サードプレイスへの旅~
荒川 雅志 著
NPO日本スパ振興協会 編著 「フレグランスジャーナル社(2017)」より抜粋

荒川 雅志 Masashi ARAKAWA
国立大学法人琉球大学
国際地域創造学部
ウェルネス研究分野 教授 医学博士

参考文献

  • Arakawa M, et al(2015). Health Tourism in Japan. 3rd Annual Conference Proceedings Asia Pacific Chapter, Travel and Tourism Research Association (TTRA), 100-101.
  • 荒川雅志(2010). スパセラピーのエビデンス~ヘルスツーリズム振興に向けた学術基盤整備~, 観光科学, 2:47-62.
  • 荒川雅志(2015). 日本再興戦略における日本型ヘルスツーリズムの再構成、メンタルヘルスツーリズムの展開, 観光研究, 27(1):18-23.
  • 観光立国推進基本計画(2007)(平成19年6月 閣議決定)
  • 日本観光協会(2007). ヘルスツーリズムの推進に向けて―ヘルスツーリズムに関する調査報告書―, 社団法人日本観光協会.
  • 日本経済再生本部(2016). 日本再興戦略2016 ―第4次産業革命に向けて―.
  • Patricia Erfurt-Cooper and Malcolm Cooper(2009). Health and wellness tourism: spas and hot springs, Channel View Publications.
  • Melanie Smith and László Puczkó(2009). Health and wellness tourism, Butterworth-Heinemann.
  • Becheri(1989). From Thermalism to Health Tourism,Revue de Tourisme, 4.
  • World Health Organization(2016). World Health Statistics 2016: Monitoring health for the SDGs.
  • Global Wellness Institute(2016).
    https://www.globalwellnessinstitute.org/wellness-now-a-372-trillion-global-industry/